【メモ】 |
迷いつつ旧都路村へ:
閑散とした国道
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五十人山は全村計画的避難区域となってしまった葛尾村の村界上にあります。当然放射線量は高いのでわざわざそんな山に登るというのもどうなのかという気もしますが、私にとって最初に阿武隈の魅力を教えてくれた山ですから現在どんなことになっているのかを確かめたくて迷いつつも出かけてみる気になりました。
国道288号を走って合併で田村市となった旧都路村に入ると様子が一変します。旧都路村の入り口には「立ち入り制限地域」の看板があってちょっと躊躇しましたがどうやら通行はできそうなのでそのまま進みました。しかし国道を走る車はめっきり少なくなり、この先に行く用事のある車と言えば当然ながら双葉町を目差す原発関連の工事がらみということです。民家はみなひっそりとして人影はまったく見られません。
岩井沢で案内板に従って国道を離れ五十人山方面へ左折すると戦慄の光景を目にします。前回来たときには田植えの準備で農家の人たちが忙しく立ち働いていたその一帯は耕作もできず、どの田圃も雑草が生い茂っていました。畜舎ももぬけの空です。生産しても出荷できないのでは致し方ありません。豊かだった広大な圃場がが汚染でただの雑草地になってしまいました。
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立ち入り制限の看板 |
耕作できず雑草地となった田圃 |
草に覆われたキャンプ場
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荒れ放題の五十人山キャンプ場:
林道最奥が五十人山キャンプ場です。もう誰もキャンプに来ないので草ボウボウです。駐車場にも草が生え始めていますのでそう遠くないうちに駐車も困難になるかもしれません。
しかし、かろうじて登山道は保たれていました。
緑濃いなだらかな登山道の脇にはフシグロセンノウが咲いてあたりを明るくしています。
新緑の頃とと雪の頃しか知りませんので夏の濃すぎるほどの緑はちょっと鬱陶しいくらいです。
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山頂草原はたくさんの花が咲いていました:
道はなだらかなまま前方が明るくなると頂上草原の一角に飛び出します。
原発事故以来刈り払いもしていないようで芝草だった草原にはススキやカヤが侵入し始めています。
山頂草原
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草原には大きな木があちこちにあって日陰を作っていますので休憩には好都合です。ただこの芝草もあと2,3年もすればカヤトの原になってしまうでしょうから、こんな気分も今年が最後かもしれません。
晩夏から初秋の花が咲き乱れて、改めて花の山だと気付きました。コオニユリ、ウツボグサ、キキョウ、オミナエシ、ギボウシ、ハギ、夏と秋が入り乱れていました。
山頂を示す山名板はこの山頂草原にありますが、この山は双耳峰で実際の高みは左と右にあります。右の南峰は三角点がありますが、アンテナが建てられていますので左の北峰に登ってみました。
五十人山の山名の由来となったらしい大石があちこちに頭を見せています。この大石を50人の丈夫と見て名付けたとか、50匹の猿がいたからとか、いろいろな山名由来の話を聞きますが、北峰山頂の説明板では坂上田村麻呂が50人の兵士を石の上に座らせて戦略を練ったと説明されています。どうせ確実なものはないのだからいろんな説があるのは楽しいですね。
北峰頂上からは西と東に展望が広がります。西には鎌倉岳、葉山、竜子山、遠く安達太良山まで見通せます。
東は葛尾村から双葉町方向の無人と化した広大な里を見下ろすことになります。原発たった一カ所の事故でこの見える範囲すべてが失われてしまったのかと恐ろしさを実感します。
山頂で2人のハイカーに会ってびっくり。あちらもびっくりしていました。こんな時期にこんなところで人に会うなんて。
聞けば、福島の各山岳会が手分けして山の放射線量を測定して回っているとのことでした。山頂で1.6μSv/h、登山口(キャンプ場)で1.2μSv/hだそうです。やっぱり高い値を示しています。この北峰を村界とする葛尾村の中心地では十数μSv/hを示していると言うことです。それが人体にどのくらいの影響があるのかは知りませんが、ハイカーが行き交う元の五十人山に戻るのはまだまだ遙か先かもしれません。
五十人山、ほんとうにいい山でしたが、もう登ることもありません。 |
北峰頂上の巨石群 こんな大石があちこちに |
北峰頂上から竜子山へ続く村界尾根(尾根の右側は避難区域) |
五十人山の花(写真クリックで拡大)
キキョウ |
ハギ |
コオニユリ |
オミナエシ |
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