【メモ】 |
笹とヒサカキの藪を強引に押し登る
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ルートを探る:
地形図には岩崎に神社の記号が記されていて、ここが三床山から東に延びる尾根の末端となっています。できればここから登りたいものですが、とりあえず現地に行ってみて入山点を探すことにして岩崎まで車を走らせました。
さて岩崎には着いたもののどなたかにお聞きしようとしても付近には人の姿もなく、ここは図々しく人家を訪ねて聞いてみることに。悪徳訪問販売に間違えられぬように仕草に気をつけながらピンポーン。(^_^;
さいわいここに永くお住まいの方で、かつては神社から尾根を外さないようにすれば三床山まで行けたことを教えていただけました。ただし最近の小学校の登山ではもう少し先から入山しているようだとのことでした。(下山時に判ったことですが、そのルートさえすでに小学校の児童が登れる状況ではなくなっています。たぶんその小学校が学校登山に登ったのさえかなり以前のことに思われます。)
その話から察して神社から尾根通しに行くのは可能で、多少道が消えているにしても道跡をつないで行けそうだと踏みました。しかし、結果を言ってしまうと判断が甘かったというほかありません。道が消えているどころかスタートからほんのわずかでアズマネザサとヒサカキの藪に捕まって悪戦苦闘となり、さらにその先に三床山本体の滑り落ちそうな急登が待っていてハイキング気分とはほど遠い山行となりました。 |
八幡宮拝殿の彫刻
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八幡宮:
起点とした八幡宮はイノシシ除けのフェンスにがっちり囲まれています。ここ岩崎では山全体が強固なフェンスで隔離されていて山に入るには所々に設置されている扉を開けて通過します。八幡宮はその山側、つまりフェンスの向こう側に鎮座しているというわけです。
フェンスの扉を開けて境内に足を踏み入れてみると想像していたよりかなり立派な神社でした。進むほどに石橋と大鳥居、石段、狛犬と続き、その先に朱塗りの大きな神社があります。彫刻が施された拝殿と本殿は豪華な造りで一見に値します。全体が雨除けの屋根に覆われています。
また左手には社務所や収蔵倉、神楽殿などが並んでいます。今も神楽を奉納しているのか神楽殿はきれいに保たれています。
山を歩いていると半ば見捨てられたような神社をよく見かけますがここは今も守り伝えられている現役の神社です。清掃された境内といい、真新しい雨除け屋根といい、氏子のみなさんの意気を感じます。
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三床山まで難儀な登り:
疎林の急斜面を登る
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八幡宮境内の左手に車道があり、たどってみると途中から尾根へと道跡が分かれています。多少荒れてはいるもののこれはしめたと思ってこの道を登ることにしました。
ところが最初こそしっかりした道跡でしたがだんだん笹が茂ってついには尾根に登り着く前に笹藪の中に消えてしまいました。
とりあえず尾根に出なければ今日の山行は始まりません。道跡は諦めて一直線で尾根に出て、そこからまだしばらくはアズマネザサの藪を突いて進むことになりました。アズマネザサがなくなるとヒサカキの薮、ヒサカキがなくなるとまたアズマネザサの薮、と言う具合でなかなか簡単には解放してくれません。それでも徐々に薮の密度も薄くなりまずまず歩ける程度の尾根になりました。もちろん展望はほぼありません。枯れ枝をパキパキやりながら尾根から大きく外れないように注意して進みますが、どうにも往く手を阻まれたときには右斜面が植林地なのでそちらに迂回するしかありません。
岩崎でお聞きした途中からの登山道や南の鹿島神社からの道が合流してそこから歩きやすくなるかと思って注意して探しましたがとうとうそれらしい道は見つかりませんでした。
きつい登降のないまま頭上に三床山の鋭峰を見上げる鞍部に達し、そこからいよいよ三床山本体の急登です。地形図を見ると水平距離200mほどで115mほど登ります。岩場を両の手を使って這い上るならこの程度の急登にはよく出くわしますが小石混じりの土の斜面ですから気を抜くとズリズリ後ずさりしてしまいます。灌木も疎らで手がかりとなるものが少なくなかなか難儀な登りです。 |
下岩崎の石祠
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三床山山頂:
急な登りにうんざりしたところで突然ひょいと山頂に飛び出しました。コース取りの方向として最初にここに登るハイカーがほとんどですから午前中はそこここで憩うハイカーでいっぱいの三床山ももう誰もいない静かな頂上となっていました。
3基の石祠がそれぞれを祀った集落を向いて鎮座しています。
ここで新たな発見です。これまで三床山には山麓の旧岩崎村、旧戸奈良村、旧梅園村それぞれの3村の住人が祀った石祠がそれぞれの方向を向いて鎮座しているものとばかり思っていました。三床山の山名のいわれでもそんなことが語られてきました。が、よくよく見ると3基のうち2基は岩崎の方角を向いており、不鮮明ながら銘にはたしかにそれぞれ岩崎上、下岩崎の文字が彫られています。なんと山頂の石祠のうち2基は岩崎村で祀ったものだったのです。残る1基は明らかに戸奈良を向いていますし南麓の鹿島神社から明瞭な道もあるので戸奈良で祀ったと見ていいようです。とすると梅園村はここの石祠の存在との関係からは外れているということになります。
また下岩崎の石祠には「山王宮」の文字が彫られていて、スタート点となった八幡宮とは無関係だったわけでここが奥の院ではありませんでした。もっとも山麓の八幡宮は岩崎上の集落に鎮座しているのでもう一つの岩崎上の石祠が八幡宮の奥の院かどうか興味は尽きません。いかんせんすでに文字が判読不可能で専門家でもないと解明できそうにはありません。 |
日光白根山 右手前に大鳥屋山
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山頂の西斜面側に少し歩くと展望が開けます。日光白根山の真っ白な頂が印象的です。男体山、足尾の山々、赤城山などが一望です。(あいにく関東平野は靄っていて富士山や八ヶ岳などは見えません。)
快晴、大展望とあってこの先に行きたい気分ですが帰路を考えないといけません。往路を返すには薮がうんざりですし鹿島神社に下ると車を置いた岩崎までぐるっと大回りしなければなりません。いずれも戻った頃にはヘトヘトになっているはずです。
思案しながら山頂でゴミなど拾っていたところ思ってもいなかったはっきりした道が北へ向けて下っています。登ってきた道とは比べようもないくらいしっかりした道です。こんないい道を見つけてはここを降りるしかありません。 |
下山路:
落ち葉に埋まる下山路
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地形図では北に向けて尾根が走っていますが道はこの尾根上に続いているようです。露岩混じりの歩きやすい道で時に大岩が現れたりして変化もありなかなか楽しい道です。見上げれば小三床山の縦走尾根も併走して間近に見えます。
鞍部に達すると道は右に下ります。鞍部の先に小さな高みがあったので登ってみましたが特に何があるわけでもありませんでした。
鞍部から山道に従って尾根を離れます。小石の堆積したザレた斜面は心地よい落葉樹林でもあり快適に一気に高度を下げて平坦道となります。ここで一抹の不安が頭をもたげました。地図によればこの先はゴルフ場なので道が遮られはしないだろうか。
心配はすぐに現実になりました。強固なフェンスに阻まれて突然道が消えたのです。そのイノシシ除けのフェンスは延々続いていて何があっても通さないぞとがっしり行く手を阻んでいます。仕方なし来た道を少し戻ってから歩きやすそうな植林地内を里の方向を見定めて一直線で進みました。その先でまたゴルフ場脇に出てしまいましたが、そこは小沢となって踏み跡程度の道跡が沿っていました。沢沿いに進めなくなったところで最後に薮を越えると半ば放棄された耕作地が目の前に現れました。うまい具合にフェンスに扉があって農道に出ることができました。
あとは車道を八幡宮まで戻るのみ。振り返ると三床山の鋭峰が意外に高度感もなくかわいらしい頭をもたげていました。 |
イノシシ除けフェンス |
三床山を振り返る |
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